筑波大学出身の起業家、実業家から在学生の様々なEntrepreneurship(起業家精神)を知ることを目的とした、筑波フューチャーファンディング(TFF)のオウンドメディア「TwinWeeks」です。
第一回のインタビューはタリーズコーヒージャパン創業者の松田公太さんに”つくば”への期待と可能性を伺いました。
松田公太(まつだ・こうた)参議院議員、タリーズコーヒージャパン創業者。 1990年に筑波大学国際関係学類(現・国際総合学類)卒業後、三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に入行。97年タリーズコーヒー1号店を東京・銀座にオープン、98年タリーズコーヒージャパン株式会社を設立。当時、飲食業最速でナスダック・ジャパン(現・ヘラクレス)に株式を上場。その後07年に同社長を退き、シンガポールへビジネスの拠点を移す。09年にはエッグスシングス・インターナショナル・ホールディングスを設立。10年に参院選で初当選後、「日本を元気にする会」を結党し代表に就任。著書に「すべては一杯のコーヒーから」(新潮社)や「愚か者」(講談社)などがある。
まずはじめに筑波大学の今のイメージを素直にお聞かせください。
ちょうど2年前に筑波クリエイティブキャンプ(TCC)に参加しましたが、大分明るくて、垢抜けてきたという感じがしますね。大学構内を少しぶらぶらしてみると、ジャージ姿の女性が減ったなと(笑)。そういう印象ですね。
TCCの時の学生の印象はどうでしたか?
TCCとは筑波大学を毎年多くの起業家を輩出する“日本のシリコンバレー”とするべく、同大学出身の経営者とともに行われたビジネスコンテストです。現在は大学の授業になっています。
みんなとても真面目ですね。
起業とか、アントレプレナーシップの意識が高い人が集まってきていたからかもしれませんが。私の頃は「ベンチャー」という言葉もなく、自分で会社を起こそうと思っている学生はいませんでした。私は自分で何かやりたいと思ってましたが、そういう話をすると、”こいつ何言ってるんだ”っていう反応をされましたし、理解されなかった。
就職活動をして、より有名な企業で働くことや学者とか先生になるというのが良いとされていました。それと比べたらTCCができて、起業家の方と出会って、みなさんが将来のことをこうやって考えているのはすごくいいことだと思います。
大学時代から会社を興そうと考えられていたということですが、それはアメリカでの経験が大きんでしょうか?
それは完全にそうですね。
小中高とアメリカで育つなかで、周りの親の話を聞くと、「大手の不動産会社で勤めてたんだけど辞めて、自分で独立して不動産会社を作った」とか、「IBMで働いてたけど辞めて自分で会社を作った」とかそういった話をちらほら聞いていました。
私の父はずっと同じ会社に勤めていて、朝早くに家を出て、夜遅くに帰ってくる。会社に尽くす父を見てきて、こんなに働くんだったら、自分のために働きたいという考えも芽生えました。
ここまで力を注いで働くんだったら、もっと成功できるんじゃないか、って父に話したことがあります。それに対して「ちゃんと退職まで勤めてね、それでやっていくのが一番いい」というように当時、父は言っていました。
中学生の頃は寿司のチェーン店をやりたいと弟と語っていました。生魚を食べることに抵抗のあるアメリカに、日本の素晴らしい食文化を伝えたい。
無いなら、自分で会社を作ってやるしかないんだなって、そういう風に自然に思える環境でした。
大学卒業する時に起業せず、三和銀行に入行されたのはなぜだったのですか?
さっき寿司のチェーン店という話をしましたけど、ちょうど大学生の時に寿司のチェーン店がアメリカで増えていって、過去、生魚を食べるなんて気持ち悪いって言っていた向こうの友達からよく「今日お寿司食べたんだ」なんていう手紙が来たりしました。
もう誰かやってくれているなら自分でやる必要はないと思ってしまいましたね。性格上、まずやりたいものをさきがけて紹介していきたいっていうのもあったんです。
じゃあ他のことをしようとマインドを切り替えました。豚カツとかお好み焼きとか他のものも考えましたが、やっぱりこれっていうのがなかったんです。寿司には特に思い入れがありました。父が漁業関係のサラリーマンをやっていたからで、それで魚のおいしさとか、知っていたので。向こうの友達にどんなに馬鹿にされても寿司は素晴らしいと思っていましたから。
豚カツは抵抗なく受け入れられるでしょうし、お好み焼きだってジャパニーズスタイルパンケーキっていう言い方をしたら、多分説明がつく。でも寿司っていうのはやっぱりハードルが高いなと思ったんです。ハードルが高い寿司をあえてやりたいなって思ったんですね。
でも、もう自分が血眼になって寿司を広げなくていいかってなった。そこで、起業するためにも、色々社会勉強させていただきたいと思い、まずは就職しようと決断しました。
もともと業を起こすという段階の時に、”日本にあるものを海外にイントロデュースする”ということが気持ちとしてあったんですね。
完全にそうですね。ところが実際には逆になりました。
たまたま95年に友達の結婚式に呼ばれて、シアトルに行った際、スペシャルティコーヒーの原型のようなものに出会いました。
「美味しい!」と感動しました。
日本のコーヒーは、インスタント、缶、喫茶店で飲むようなものしかない時代でしたから。
コーヒーカップを手に街中を歩くというのも新鮮でした。子供の時に寿司がうまい!なんでみんな食べないんだろう。食べさせたい、というのがあったのと一緒で、スペシャルティコーヒーもこれまでコーヒーが好きじゃなかったのに、それを飲んで美味しい!、と思ってしまった。
じゃあ、これを広げたいな、これを日本のみんなに伝えたいなって直感したんです。
もっと言えば自分自身がスペシャルティコーヒーが飲めるお店を欲しいなと思いました。どんどん気持ちが入っていって、スペシャルティコーヒーをまず立ち上げてみようか、となりました。
Eggs’n thingsにもそういった経緯があったんですか?
Eggs 'n Thingsは“All Day Breakfast”というコンセプトのもと、朝に限らず昼でも夜でも美味しくてボリューム感のあるブレックファーストメニューを楽しめるカジュアルレストランです。
もともと朝食文化を広げたいという思いがありました。
欧米諸国では、ホテルやチェーン店などに24時間メニューというものがあって、ワッフルやパンケーキ、トーストとフライドエッグスなどのブレックファーストメニューがあるんです。それが日本にも朝食メニューはありますが、昼や夜は頼めないなって思ったのというのが一つ。
もう一つはタリーズをやっていたときに可能性を感じた朝の売上です。タリーズでは実は朝の売り上げが一番悪かったんです。アメリカはスターバックスもタリーズも朝の売り上げが高いんですね。朝スタバに寄って朝食を食べて仕事に行くというのが日常にあるんです。す。一方日本では、朝食は家で食べていくという文化が根強い。
だからタリーズでも、朝の売り上げを上げるにはどうしたらいいんだ、と、試行錯誤メニューを開発したのですが、なかなかこれというヒット作がなかったんです。
だからこそ、その時思ったのはアメリカにあるような朝食専門店をやらないといけない、ということでした。そうしないと外出してから朝食を食べるという文化が根付かないだろうなと思いました。
3つ目は2つ目と関連していますが、日本の夜の文化ってすごいですよね。おもてなしという意味でも独特のものがある。会食をしながらビジネスのトークをして、終わると二次会に行ったりするわけですが、それを経営者時代に経験して、結構しんどいものがありました。
毎晩のようにそういう予定が入り、深夜1時、2時までお付き合いをして、翌朝8時に出社するってハードですよね。。
どうしてブレックファーストミーティングがないんだろうって不思議に感じていました。朝食を食べながらミーティングをして、というのが、アメリカだとよくあるんです。
一番脳が活性化していて、一番脳を効率よく使えるのは朝だと思うんです。それにお酒が入っちゃうと何言い出すかわからないし、「いやこれ昨日約束してくれましたよね」とか言っても覚えてないって返されたらそれでおしまい。「パワーブレックファースト」と言ったりしますけど、そういった文化も必要かなと考えていました。
いつでも朝食が食べれるお店を作りたいと思っていた中で、ちょうど十数年前、ハワイのEggs ’n thingsに行った際、日本でもやりませんかと、日系人夫妻のオーナーさんに打診したんです。その時は「自分は1店舗で十分で、これ以上増やすつもりはないから帰ってくれ」と、相手にされず諦めました。
その後、オーナーさんが亡くなられ、所有権を受け継いだ人たちが日本に来て、「Eggs’n thingsを広げてくれませんか」とお話しを頂きました。聞くと、前に私が会いに行ったことを知らなかったそうですが。たまたまその方が私の本を読んでいて、私にやってもらいたいと。
ビジネスはそういうことが非常に多いんです。一生懸命やってると、すごいところで繋がったりします。結果的に、「ではやらせてください」ということで、日本だけでなく、アメリカとハワイ以外の全世界の権利をいただくことになりました。
今までは日本でやってきましたが、今年は海外出店もします。
(後編に続く/掲載予定は、9月4日の週です。)
Interview, Writing: Yoshihito Takashiba (TFF)
Edit: Satoru Tsunemachi (TFF)
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